2016年2月25日木曜日

無明から真人へ 2

1はこちらから。


佛師を断念、再び墨絵を
 その後、本物の水墨画に近づくべく再挑戦したのですが、元の木阿弥で、せめて筆ペンの墨彩画と呼ばれるまでに至れないものかと模索中の折、「動禅」と言う或る佛師の半生を描いた本を読み、衝撃的な感銘を受け『これだ!』仏像を彫ることが自分に出来る陰徳なのだ、これしかあり得ないと思い立ち、最期の日まで、家族を失った多くの人たちのため、一体一体こころを込めて掘り続けよう、ご老師の弟子として、禅者として佛師を目指そうと心に誓ったのですが・・・・・・。(因みに盤珪禅師も仏像を彫っています。)
 刑務所でさえ、木工作業場が在るのだから当然、当局は個別の彫刻くらいは大丈夫だろうと安直に思い込んだ私は、当局にお伺いして見ると「過去に前例がない」と一蹴され、取りつく島も無い回答にまるで奈落の底に突き落とされ、呆然自失となる始末。
 もはや墨絵を描く以外に道は拓かれん!と覚悟を決めた私は、それから数日間、坐禅と断食、ムドラー(ヨガ)と調気法を 行じ乍ら、ご老師の法話を反芻し、釈尊やダルマ、その他多くの祖師方の悟境に促されるよう仏法の大意とは何かを思索し、菩薩道の大悲心に思いを馳せ、あらゆる概念を空性に還元させるべくサマディーへと自らを追い詰めて、そして捨て切りました。
 これに近い感覚を十八年前、体験しました。
 幾ら目を凝らして見ても物の輪郭すら判らぬ真暗闇の独房修行五十九日間(※3)。密閉された三畳余りの部屋で二十四時間の極限修行。一日一食、体感温度は40度を超えていたでしょう。幾度も意識が飛んでしまい、いま自分は何処にいるのかも分からぬ感覚と五官を感知する意識まで無くなり、時間が消える超絶の域に三昧へと移行するハッキリとした拡がりの実感があるだけの世界です。
 調気法も一呼吸のサイクルで最高十八分のときもあり、建物全体と意識が繋がってしまい、各部屋で誰が何を話しているかが観えてしまう。又、50メートル先の家の時報やラジオがまるで目の前に有るかのような超感覚体験等、多くの神秘体験が通り過ぎたものでした。
 そして、三十日目の頃、坐法を崩さず九時間もの三昧に没入できると同時に、その長時間が一瞬でしかなかった感覚。このとき初めて時間の概念が、ひとつ氷解したのです。
 後日、突然にして遺書を書け、との狂気をも絶する宣告を受け、ーもう、死んで涅槃するしか解脱の道は残されていないのだーと覚悟を決め、教団と養父母に一通ずつ遺書を書きました。
 修行中に死ねたら本望だと、胸を張っても、思わず字が霞んでしまいました。それ以降、死と対峙する命がけの修行でした。そして五十九日目にして修行の成就と告げられたのです。
 成就と言われても私にはよく判らず、単に幽体離脱や前世のような幾つかのビジョンを垣間見て、宇宙に放り出されたり銀河の渦を俯瞰して光の中に没入するような様々な神秘体験の集大成。そして六神道と称される幾つかの体験があったのみです。
 いまでは、それが悟りや解脱でないのはわかりますが、しかし当時は<無我>を知らずして『忘我の境地』に没入していたことは間違いありません。
 どんな宗派であれ、厳しい修行を行えば、誰でも必ず神秘体験が得られて当然です。ところが<空観>と<無我>の理法に無知な教団は、通俗信仰の常套句である六道輪廻のカルマ説を教義と掲げます。故に修行で得られた神秘体験の全てを教祖のお陰だと盲信するのです。前世から受け継がれた教祖の絆と信じ、カルマの因縁に支配される信仰心。このドグマこそ、間違いの始まりなのです。
 ーいう迄もなく、私自身がその愚かな見本でした。ー
 そもそも禅を無視して来た教団ゆえ、釈尊が六道輪廻を真っ向から否定した史実に気付かず、まして空無の理法を灌頂伝授(イニシエーション)に掏り替えてしまう指導者の高慢さが、過った信仰心を煽ってしまい、多くの若者達の心に植え付けてしまったのです。(盤珪禅師はカルマ説を強く否定しておられます。)
 今現在、禅の入口に踏み込んだ私は十八年前とは全く違う境地です。死と対峙する環境下に在る状況は同じでも、空性の理を掴んだいま、六道輪廻や前世のカルマと云う<まやかし>に囚われる実体は何も有りません。数々の神秘体験も悟達に至るプロセスの一貫と解かれば、それに執着する意味は当然、失くなります。
 修行に終わりはありません。常に捨て切り空じてこそ禅の要。これからは、人知の妄念に立ち向かい、人格を養う菩薩道の階梯が無限に用意されているのです。
 多分、過去の神秘体験は唯識の大円鏡智の入口ではないかと存じます。そして昨年は、生死一如と因果一如の理法と共に、平等性智の大悲心に、一瞬ではありますが感得できたのではないかと勝手に思い込む不遜な愚生であります。


3へつづく。


※3・・・宮前さんが過去に行ったオウム真理教での修行。以後「教団」=オウム真理教、「教祖」=麻原彰晃

2016年2月24日水曜日

無明から真人へ1

玉龍寺発行「正偏智 第13号」平成16年9月1日発行 に「無明から真人へ②」として収録されたものを、宮前一明さんの了承を得て順番に公開させていただきます。
宮前さんが、獄中でなぜ絵を描くようになったのかという気持ちが分かっていただけるかと思います。


筆ペン一本

 ご老師(※1)が帰国されるまでの二ヶ月半、とにかく禅者の道を志す下賤な弟子として、末席の片隅に置かれるだけでもいい、そして自分にできる陰徳の贖罪を何かの形で顕して行きたい。
 それともう一つ、ご老師の講話に触れた途端、忽然として覚証した気づきの体験とともに、18年前、狂気と呼ぶべき極限修行で得られた数々の神秘体験が、果たして<見性>の遠因と云えるのか否か、これらの見解を筆に託すことではないかと思い至りました。
 ところが、それ以前の悩みとして、無収入の私にはお布施ができず、今の環境下では玉龍寺に赴いて作務をしようにも為す術がないのです。
 一体どんな形の陰徳と利他行を果たせばよいのか、これと言った能力も何も無い私が、熟慮の末に辿り着いた結論が、墨絵だったのです。勿論、禅機画と呼ぶような大層なものではありませんが、墨絵に至る迄の経緯は確かに、大きな機縁に導かれていたのではないかと、そうおもわずには居られぬ事象の連続でした。
 二年前、平和団体に投稿を続けるなか、或る日、面会の席で「筆ペンの墨を水で薄めれば、水墨画が描けるんじゃないの」との友人の発言に端を発した私は俄然、物の怪に取り憑かれたように一心不乱の挑戦が始まったのです。
 極細の筆ペン一本で、どこまで水墨画に近づけられるか、約二週間、コピー紙の上に墨の濃淡を五つに分けて描き比べたものの反面、淡くなるほどに水分が多く渇くのに数時間あまり、失敗のときは決まってシワ寄ればかり。画仙紙さえ使用できれば何んでもないのに、当局(※2)では購入不許可。それでも五色の濃淡で描いた作品は、それなりの評価を受け、自分なりに安堵したものでした。しかし、本物の水墨画は、叙情的な陰影と濃淡の妙技を醸し出せ、特に、ぼかしと滲み技法には気韻生動・幽玄霊妙の世界へと誘われ、いつの間にか、吾を忘れます。
 それに比べると、ベタ塗りの細い筆ペンとコピー用紙では、ぼかしや滲みを描くのは無理、物理的に不可能だと漸く気づいたのが一ヶ月後でした。
 そんな作品でも、或る出版社の社長夫婦が、新鋭の水墨画家・小林東雲先生の個展に赴かれた折、私の作品を数点紹介されたのです。
 すると先生は、「意外でした。こんなにやさしい画を描く人物に、あのような罪を犯させるに至ったことを考えると、憤りさえ感じます。」と絶句され、「このような繊細な感性を持っているが故に、言われることをそのまま信じて犯行に及んでしまったのでしょう」と、とても残念だとつぶやかれ、「何もアドバイスするものはありません。とても素晴らしいので、このまま描いて行かれた方が良いです。」との太鼓判と共に、早々と篆刻印(てんこくいん)を彫ってくださり、新刊の書籍にサインと地蔵菩薩を描かれ、『自灯明・法灯明』のお言葉も添えて戴き、「あの事件がなければ、この方は素晴らしい社会貢献をする方でしたね。」となんども残念がっていたという話しを後日談として聴かされたとき、おもわず、私にはもったいないお言葉と恐縮し乍らも、いつの間にか涙が頬を伝い、返す言葉が見つかりませんでした。


※1・・・宮前さんが獄中で入信していた禅寺、玉龍寺の宮前心山老師のこと

※2・・・宮前さんが収監されている東京拘置所